3月3日(日)聖日礼拝

「聖 書」

この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを着るとき、次にように書かれている言葉が実現するのです。

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」

死のとげは罪であり、罪の力は律法です。わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちは勝利を賜る神に、感謝しよう。わたしの愛する兄弟たち、こういうわけですから、動かされないようにしっかり立ち、主の業に常に励みなさい。主に結ばれているならば自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、あなたがたは知っているはずです。

(コリントの信徒への手紙 一 15章54~58節)

説 教 「勝利を賜る神」

3月に入りました。今日は「ひな祭り」です。本日は「ひな祭り」にあやかり、二人の女性のエピソードを織り交ぜながら、御言葉に聴きたいと願っています。本日の御言葉は、「死は勝利にのみ込まれた」(イザヤ25:8)をキリストの復活の力としてパウロが福音として伝えている場面です。2019年は「愛の共同体」を本教会は目指していますが、本日の御言葉は、その「力の源」となることは何かをも伝えているものです。私達は「愛の共同体」を目指すために、「キリストの愛」を深く知る者とならなくてはなりません。そして、キリストの似姿とされるまで、キリストと交わりを為していかなくてはなりません。そのことを通して、私達は心の中に「天国」を持つ者とされていきます。また隣人との間に「天国」を持つ者とされていくのです。しかし、このことは自分の努力で為していくことはできないものです。本日の御言葉にあるように、神から勝利を賜らなくては、決して手にすることはできないものです。私達には罪が支配しています。キリストの贖いなしに、決して克服できない支配です。しかし神はキリストの十字架を通して、罪の縄目から私達を贖い出して下さいました。私達を「ただ信じる」ことを通して、死からいのちへと変えて下さいました。これは神が私達に与えて下さる「勝利」です。人生の真実な勝利と呼べるものです。ここに「人生の勝利」を手にした二人の女性がいます。一人はターシャ・テューダ女史です。NHKでも取り上げられていました。NHKでは信仰者の姿は語られていませんでしたが、彼女自身が、「アメリカ人の心を表現する」挿絵画家として呼ばれていたことからも、「信仰」は周知の事実として受け取れるでしょう。彼女は老齢になって、広大な土地に「庭造り」をしながら、一人で「自給自足」の生活をしています。その彼女が「ひとり」でありながら言うのです。「みんなが本当に欲しいのは物ではなく心の充足です。幸福になりたいというのは心が充たされたいということでしょう。」「決して死を恐れることはない。それより大切なのは、今この時を精一杯生きること。」また同じくNHKで癌の告知を受けていた樹木希林女史が、「死と生は同じもの、死と生の境がなくなる心持ちでいる。」ということを告げていました。どちらも人生に勝利しています。しかし、二人には違いもあります。「喜び」です。テューダ女史は死を見つめ、「喜び」に生きています。希林女史は死を「受容」し、「普通」に生きているのです。御言葉の語る勝利は「喜び」であり、「天国」なのです。