3月9日(日)聖日礼拝

「聖 書」

さて、イエスは聖霊に満ちて、ヨルダン川からお帰りになった。そして、荒れ野の中を“霊”によって引き回され、四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。そこで、悪魔はイエスに言った。「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』」と書いてある」とお答えになった。更に、悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。そして悪魔は言った。「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。それはわたしに任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」イエスはお答えになった。
「『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」

(ルカによる福音書 4章1~13節)

説 教 「聖霊に満ちて」

四旬節第一主日を迎えました。主イエスの「荒野の40日」の御言葉です。第一主日に読まれる御言葉ですが、基本の解き明かしは、以前のものも参照下さい。(2010.2.16、2013.2.16、2022.3.12参照)本日は更に正しく「荒野の40日」の御言葉に出会いたいと願います。主イエスは洗礼者ヨハネから洗礼を受け、聖霊が見える形で「イエスの上に降って来た」とルカは前章で語っています。先週に私共は「復活の体を着る」生涯、「死に勝利する」生涯を送る幸いを聞きました。この生涯もまた聖霊と共なる生涯です。本日の御言葉の冒頭で、「さて、イエスは聖霊に満ちて、」とあります。主は聖霊に満たされる生涯が如何なるかを先に経験して下さいました。本日の御言葉は私共が如何にして「勝利の生涯」を送るのかの教科書です。以前にも語りましたが「40」という数は「象徴的」なものです。本日の「荒野の40日」も「モーセのシナイ山での40日」や「出エジプトの40年」の写しです。その証拠に主は悪魔の誘惑に対して、申命記の御言葉ですべて返しておられます。その意図を踏まえながら3つの誘惑に対す、「主の勝利」について学びましょう。一つ目の誘惑は「パンの誘惑」です。主は「人はパンだけで生きるものではない」(申8:3)と悪魔に返しました。この御言葉の背景には、荒野の窮乏生活の中で与えられた「マナ」の奇跡が踏まえられています。神は「神の民」に対して荒野で苦しみを与え、「神体験」を経験させました。神が如何なる時も真実な方であることを悟らせるためでした。主イエスは世に如何なる窮乏があっても、必ず「マナ」が与えられるから、神の言葉に信頼せよと言われているのです。二つ目の誘惑は「権力の誘惑」です。主は「ただ主に仕えよ」(申6:13)と返されました。この背景には、「神の民」に与え続けられたものを想う時、神の民が、神に仕える「安心の人生」こそが大切であると言われているのです。三つの目の誘惑は「神を試す誘惑」です。主は「主を試してはならない」(申6:16)と返されました。この「試す」は以前語りました(ペイラゾー)です。神が主語なら「体験させる」、人が主語なら「疑う」ことを意味しています。これは荒野(マサ)の時の、民の神に対する不平の言葉が背景にあります。神を自分の思い通りに扱う「不敬虔」がそこに存在しています。神を真実に信頼する時、人が神を「試す」ことなどできるはずがありません。主は聖霊に満たされて、悪魔の誘惑に全て勝利されました。次節では、「“霊„の力に満ちて」とあります。私共も又「信仰の勝利」を歩みます。