「聖 書」
イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊„はこのことを証しする方です。“霊„は真理だからです。
(ヨハネの手紙 一 5章1~6節)
説 教 「神から生まれた者」
復活節第二主日を迎えました。本日の説教題は「神から生まれた者」です。「神から生まれた者」とは、「イエスがメシアであると信じる者」(5:1)です。ペトロはイエスをメシアであると信じていました。しかし、それはまだ霊的な目が開かれていなかった時の見え方でした。ですから、イエス様が「受難予告」をされた時、ペトロは主を諌めました。その時ペトロは主から「サタン、引き下がれ。」と言われました。主はペトロに言ったのではなく、ペトロに働きかけているサタンに直接言われたのです。この悪の力こそ、「世の諸霊」であり、「世の力」です。本日の御言葉を御覧下さい。「神から生まれた人は皆、世に打ち勝つ」(Victorious Faith)と言われています。ヨハネの信仰告白です。ペトロも又、復活の主に出会い、聖霊の賜物を戴いて「新生」しました。(ニコデモも求めていたものです。)私共も又、復活節のこの時、「新生」について深く御言葉を味わいたいのです。ペトロは新生を経験した後、どのような者とされたでしょうか。それは、使徒言行録2,3章に記されています。復活の証人として「説教」をし、外に出ていき、「病の癒し」を為したのです。主イエスと同じ働き「羊を飼う」働きをし始めたのです。ペトロの力の源は何でしょうか。ペトロが癒しを施したときに語った言葉に、その答えがあります。「持っているものをあげよう」(3:6)ペトロが今、唯一持っているものは「信仰」(ピスティス)です。この「信仰」は私達のものではありません。「神が私共を産んで下さった」ところから生じたものです。この意味は「信仰」(ピスティス)の言葉の意味を知れば分かります。(ピスティス)は信仰ですが、本来は「信実(まこと)」の意味です。この「信実」は私共の「まこと」ではなく、「神の信実」のことです。(I believe and trust in God.のことです。(別紙参照))主イエスは「つまずきの先」におられ、水と血を通して、霊を与えられます。私共は、その恩寵に浴し、「信仰」が与えられ、真理が示され、永遠の命を得る者とされるのです。この信仰は、神を信頼する「信」ですから、世に打ち勝つ勝利が与えられます。真理の御霊は、私共を「神の家族」と為し、神の子供たちを愛する者へと変えて下さいます。主の掟である「互いに愛せ」を無私で行う者へと変えて下さるのです。ヨハネは「神は愛です」を中心に手紙を書きました。愛である神が、父であることが世に打ち勝つ力です。