4月25日(日)聖日礼拝

「聖 書」

そのとき、ペトロは聖霊に満たされて言った。「民の議員、また長老の方々、今日私たちが取り調べを受けているのは、病人に対する善い行いと、その人が何によっていやされたかということについてであるならば、あなたがたもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、皆さんの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけて殺し、神が死者の中から復活させられたあのナザレの人、イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、 『あなたがた家を建てる者に捨てられたが、隅の親石となった石』 です。ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。

(使徒言行録 4章8~12節)

説 教 「救われるべき名」

ペトロは「神の信実」(ピスティス)を得て、大胆に宣教活動(羊を飼う)を始めました。主イエスから頂いた「ペトロ」(岩)の生涯を本当の意味で歩み始めたのです。しかし直ぐに宗教権力者に捕縛され、取り調べを受けました。「お前たちは、だれの名によってしたのか。」ペトロは答えました。「ナザレの人、イエス・キリストの名です。」ペトロは続けて言いました。「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」驚くべき変貌ぶりです。権力者が見抜いた如く、彼らは「無学な普通の人」です。ペトロの、この変貌の力はどこから得たのでしょうか。それは「互いに愛し合う」関係の回復からです。前週にヨハネ21章を読みました。主イエスはペトロを愛していました。教会を「岩」に建てると言ってくれたほどです。しかしペトロは十字架を前に主を裏切りました。その後、主は復活され、ペトロに言ったのです。「わたしを愛しているか」ペトロは三度「愛しています」と答えました。「互いに愛し合う」関係の回復です。結婚式でも用いられる「愛します」は互いを互いに必要とする関係の誓約です。主イエスの残された「互いに愛せ」は、お互いに必要とされ、必要とする関係に生かされよの意味です。ペトロの場合では、まして「神との関係」です。神との関係の回復なのです。ペトロは後に都に帰り、聖霊「真理の霊」を戴きました。聖書の言葉を悟ることができたのです。主イエスこそ、受難の僕「メシア」であることを真実に悟ることができました。彼は、主イエスが言われていた「羊」のことも理解したのです。彼は主の委託を受けて「羊飼い」の務めを始めました。その後捕縛されて本日の御言葉ですが、ペトロは彼らに主イエスを証しして、詩篇の預言の成就「隅の親石」が主であると告げました。主イエスこそ「家(神殿)を建てる者(親石)」であると証ししたのです。彼は「岩」の意味を理解しました。私共にも天の「新しい名」が与えられています。(黙示録3:12)救いは神から来るのです。人の力ではありません。「イエス」は「神は救い」の意味です。神から与えられた名です。私共の全ての者は「神から生まれた者」です。神から名が与えられています。ヨエル3:5に「主の御名を呼ぶ者は救われる」と預言されています。私共は真の神である「イエスの名を呼び求める」ことを通して、神との関係に回復され「救われる」のです。