4月7日(日)聖日礼拝

「聖 書」

イエスがメシアであると信じる人は皆、神から生まれた者です。そして、生んでくださった方を愛する人は皆、その方から生まれた者をも愛します。このことから明らかなように、わたしたちが神を愛し、その掟を守るときはいつも、神の子供たちを愛します。神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰です。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。
この方は、水と血を通って来られた方、イエス・キリストです。水だけではなく、水と血とによって来られたのです。そして、“霊„はこのことを証しする方です。“霊„は真理だからです。

(ヨハネの手紙 一 5章1~6節)

説 教 「わたしたちの信仰」

先週はイースターでした。次のペンテコステまでの50日間を私共は復活節の恵みの中を歩んで参ります。先週は「洗礼式」の恵みがあり、受洗者の方々と共に私共にも恵みがありました。これは神の愛、兄弟愛の恵みの中に共に浴していたということです。救いの恵みは「個=パーソナル」のことでありつつ、天の喜び、「全体の恵み」なのです。本日の御言葉である「ヨハネの手紙」は兄弟愛を語っています。信仰の信実を語っているのです。私は以前の説教(2021.4.11)にて、私共の信仰は、「神の信実」に委ねることであると語りました。(I believe and trust in God.)私共は洗礼を受けてなお、神の信(ピスティス)に信頼を置き続け、上のものを目指し、前に進んでいきます。ヨハネは晩年になって、後に続く「信仰者」に手紙を書きました。世に悪があったからです。「偽の教え」です。グノーシス主義、仮現説、ケリントスの教え等、がキリスト者たちを惑わしていました。その迷いの中にある兄弟姉妹たちに、「まことの愛」に立ち帰るように勧めの手紙を書いたのが本書です。私共が、先週に語った如くに、ペトロ先生のように、「まことの愛」、「まことの信仰」に留まっておれる秘訣はあるのでしょうか。それは勿論、あります。本日の御言葉です。ペトロ先生の信仰は、「わたしたちの信仰」と同じものです。私共は、聖霊の働きを通して、信仰が与えられ、信仰者として「新生」の命を歩む者とされました。これは、「神から生まれた者」とされたということです。ですから、私共は「神の子ども」です。私共は同じ「神の子ども」である兄弟姉妹を愛します。私共は「神の家族」です。私共が「神の子ども」とされた証拠は、神の掟を守ることです。「神の掟」とは、「互いに愛すること」「神を愛すること」「隣人を自分を愛するように愛すること」です。私共は神の掟を守ります。このことが「まことの信仰」に留る秘訣です。私共は常に世に打ち負けて来ました。愛することに留まることができなかったのです。しかし主は、私共に、主イエスを信じる信仰を通して、世に打ち勝つ真理を与えて下さいました。真理は聖霊様です。主イエスは、水と血を通して来られました。御子であるイエスが人であり、神であることを示されました。神が愛であることを示されたのです。主イエスは公生涯のうちに「主の祈り」を教えられました。神を愛し、人を愛し、自分を愛する祈りを教えられたのです。わたしたちの信仰は主の祈りを生きる信仰です。