5月11日(日)聖日礼拝

「聖 書」

パウロとバルナバが会堂を出るとき、人々は次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ。 集会が終わってからも、多くのユダヤ人と神をあがめる改宗者とがついて来たので、二人は彼らと語り合い、神の恵みの下に生き続けるように勧めた。次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。 しかし、ユダヤ人はこの群衆を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。 そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。「神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。 主はわたしたちにこう命じておられるからです。

『わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。』」

異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。…弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

(使徒言行録 13章42~52節)

説 教 「神の恵みの下に生き続けるように勧めた」

使徒言行録は13章から「世界伝道の開始」が語られています。12章までは、その働きの準備です。本日の登場人物はバルナバとサウロです。初めにサウロのことを語っておくと、はじめ強く原始教会を迫害していたサウロは復活の主に出会い、回心します。その後のことは、ガラテヤ書1章に詳しく証しされています。ダマスコから色々なところを経て、エルサレムに戻るまでに14年ほど経過していました。使徒たちから「慰めの子」(バルナバ)と呼ばれていた信徒がアンティオキアの教会に派遣されます。その時タルソスにいたサウロを呼び戻し、共にアンティオキアの教会を助けます。アンティオキアの教会は「神の恵みが与えられた」ところでした。このアンティオキアの教会で、弟子たちが初めて「キリスト者」と呼ばれるようになったのです。本日の御言葉は、その教会から「世界宣教」に出て行く話です。「神の恵みの下にある教会」は重鎮の二人を派遣したのです。まことの恵みの教会です。パウロの第一次宣教旅行でピシディア州のアンティオキアにまで行き、安息日に会堂で請われる形で説教をサウロがしました。主の復活証言と福音を語ったのです。彼らが会堂を後にする時に、人々がついてきて、次の安息日にも同じことを話してくれるように願いました。その人々は主に異邦人の人々でした。彼らはユダヤ教を信奉していたと思われますが、律法が義を与えてくれないことは理解していたと思われます。ですから主イエスを信じることを通して「神の義」(救い)が与えられるというサウロが語る「福音」に強く気持ちが揺さぶられたのです。二人は彼らと語り合いました。宣教の喜びと励みの場面です。二人は彼らに「神の恵みの下に生き続けるように勧め」を為しました。福音は「神の恵み」なのです。神の救いの計画は「神の恵み」を全ての人に届けることです。しかし、御言葉が語るように、そこには必ず「迫害」がありました。救いを受けることも、拒否することも私たちの「自由意思」なのです。私はサウロが14年も表舞台に出てこなかったことを不思議に思っていました。しかし今は、神の器になるために必要な期間であったと思っています。サウロはアンティオキアの教会でも10年も仕えているのです。本日の御言葉は、迫害のことを語った後に、「弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた」と証ししています。ステファノの殉教の時に彼が見た「天の主イエス」。神の言葉を選び取り、神の道を行く者に訪れる迫害は神の恵みを知る時であるという証しです。私共は霊の力で恵みを生き続けます。