「聖 書」
さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」この天使が、“霊„に満たされたわたしを大きな高い山に連れて行き、聖なる都エルサレムが神のもとを離れて、天から下って来るのを見せた。都は神の栄光に輝いていた。・・・
わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。この都には、それを照らす太陽も月も、必要でない。神の栄光が都を照らしており、小羊が都の明かりのだからである。諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて、都に来る。
(ヨハネの黙示録 21章9~27節)
「聖なる都エルサレム」
私共は「天国」を待ち望んでいます。それは確実なことです。しかし、今、パトモス島にいて「イエス・キリストの黙示」を現臨の主イエスに見せていただいた聖ヨハネは「聖なる都エルサレム」までも目にすることができました。この啓示は今を生きる私共にまことの「希望」を与える恵みです。私共の希望は「天国」で終わるものではありません。神は被造物の救いの「マスタープラン」(詩篇2編)を立てられました。そして神御自身が王となられる「聖なる都エルサレム(新天新地)」(イザヤ52:1)を「苦難の僕」のメシア預言(イザヤ書53章)を成就することを通して、実現されます。聖ヨハネは、その希望の未来を見せてもらったのです。私共の礼拝堂前面にあるステンドグラスは、その「麗しい姿」の「喜び」を表現しています。私共には「新天新地」が用意されています。その姿は世にあるもので表現することはできません。聖ヨハネは言葉にすることができないものを表現しました。「聖なる都エルサレム」は12の門に12人の天使がいて、門には12部族の名が刻みつけています。都の城壁の土台には小羊の12使徒の名が刻みつけてありました。これは天と地も、旧約も新約も、その全ての者が「聖なる都」に入るという意味です。そして中の美しさは言葉で表すことができず、「宝石のようであり」と語り、それ以上の美しさであったことが示されています。12は完全数です。また12000スタディオンの直方体は完全な形です。3(三位一体の神)×4(被造世界)×10(十全)×10(十全)×10(十全)=12000(十全は一位格の神)数字に、これ以上の意味はありません。ただ聖ヨハネが見た「新天新地」は完全な者と不完全な者が、「互いに愛し合う」「一つになる」ことを通して、「完全な世界(エデンの園)」であったことを伝えることが、ヨハネの本意です。私共「教会」は「新天新地」を目指し、今を生きる者です。ですから私共は既に「天国の住人」です。その最たる証しを生きた方がバックストン先生です。師は天国を持っておられました。そうであられたので先生の周りに多くのキリスト者が集まり、多くの人々が救いの道に入ったのです。「聖なる都」は「シャハイナグローリー」にて輝きを放っています。小羊が都の明かりであるからです。私共は、黙示録を通して希望が与えられ、霊の目を持って初めから聖書を読み直す必要があります。聖書は初めから終わりまで、あなたを愛する神からの手紙です。