5月23日(日)聖霊降臨日礼拝

「聖 書」

わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。  これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が、自分は神に奉仕していると考える時が来る。彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。・・・

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのもを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。

(ヨハネによる福音書 15章26節~16章15節)

説 教 「真理の霊」

皆様と共に、ペンテコステ(聖霊降臨)の礼拝に感謝を捧げます。聖霊様は私共に降られました。聖霊様は私共に働いて下さり、子なるイエス様の「いのちの言葉」を悟らせて下さいます。聖霊は、「真理の霊」であるから、わたし(主)の「証し」をなされると、主は御受難の前に弟子達に告げられました。本日は、主の告別の前に弟子達に残された告別説教の内「聖霊の働き」の御言葉を共に味わうことにより、今も働かれておられる聖霊様の愛について知りたいと願います。主イエスは御受難の前に弟子達に「告別説教」をされました。13~16章です。何故、主は死の直前に弟子達に言葉を残されたのか。それは「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」(13:1)からであると推察されます。主は「まことのぶどうの木」のたとえを語られた後に、本日の「聖霊(弁護者:助け主:傍に呼ばれた者:パラクレートス)」について告げられました。主イエスが十字架の死を遂げた後に、弟子達が「悲しみに満たされる」ことを知っておられた主は、弟子達に先に、十字架の死と復活の後に来られる「神の愛=聖霊」の存在を告げたのです。このことは現実となりました。主の十字架の死の後に、弟子達は故郷に戻りました。人生の「目的地」を見失っている状態でした。そこに復活の主は先に待っていて下さいました。弟子達は人生の「目的地」を見出しました。主は、その後「昇天」の時に聖霊を送ることを約束して下さいました。その約束は「聖霊降臨」として果されました。彼らは教会を形成していったのです。しかし、その働きの全てのうちに「聖霊の働き」があります。では「聖霊の働き」とは何でしょうか。それは、「キリスト者を導いて真理を悟らせる」(16:13)ことです。その真理は「罪、義、裁き、世の誤り」(16:8)を明らかにします。その意味は「主イエスを信じる信(まこと)に救いがある」ことを悟らせるということです。この真理は人を裁くものではなく「平和の礎」です。真理は正義の剣ではありません。(16:2)真理は愛なのです。ガラテヤ書に「霊の導きに従って歩みなさい。」「霊の結ぶ実は愛です。」(5:16、27)とあるとおりです。私共に真理の霊が働かれるとき、教会は「愛の共同体」となります。聖霊の働きは「実」で分かるのです。主イエスは御自分の死の恐れよりも、弟子を愛する愛で死に打ち勝ちました。神と主の愛が、今も聖霊としてあり続けています。