5月28日(日)聖霊降臨日聖日礼拝

「聖 書」
賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。一人一人に〝霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。ある人には〝霊″によって知恵の言葉、ある人には同じ〝霊″によって知識の言葉が与えられ、ある人にはその同じ〝霊″によって信仰、ある人にはこの唯一の〝霊″によって病気をいやす力、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。これらすべてのことは、同じ唯一の〝霊″の働きであって、〝霊″は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。

(コリントの信徒への手紙 一  12章1~13節)

「同じ唯一の“霊„の働き」

皆様、「聖霊降臨(ペンテコステ)」に感謝を捧げます。(祈り)私共の前に、赤い蝋燭が一本灯されています。周りの蝋燭には、未だ火がありません。説教の中ほどで点火致します。本日は聖霊が降る(火が灯る)ことが目的ではありません。火(聖霊)の意味を知ることが目的です。ですから皆様が、聖霊の働きを心から願い、「聖霊様、来て下さい」と求められた時に、火が灯ります。キリスト者は聖霊を受けています。それは「イエスは主である」と告白している者であるからです。(12:3)しかし教会の現状を見る限り、また一人一人に与えられている賜物を思う時、主が「わたしが再び来る時、火があるだろうか。」(「十人のおとめ」のたとえ)と言われているかも知れません。ただただ「己を空しくして」聖霊を「持ち望み」ましょう。(黙想と点火)今、火が灯されました。週報を御覧下さい。挿絵は「ペンテコステ」を表しています。「来て下さい!愛と平和の聖霊様」(スペイン語)教皇の言葉からの引用です。元は(ローマ書8:6)です。教皇様は「教会」を「愛」と「平和」と表現しているのです。教会を建て上げるのは「神」であり、教会を支えるのは、一人一人に与えられている「聖霊」の賜物であることを語っているのです。しかし世界に目を転じれば、いえ、身の回りでさえ、「愛と平和」が失われ、世は「混乱」しています。私共は「一つ」になる力を与えられています。「同じ唯一の〝霊„の働き」を受けているからです。「同じ唯一の〝霊„」は「三位一体の神」です。私共の信じる唯一の神は「愛」であり、「交わり」(コイノニア)です。御言葉を御覧下さい。私共に与えられる賜物は個人の益のためではなく、「全体の益」のために与えられたものです。「キリストの体」(教会)を建て上げるために用いられるものです。私共が真に、本日の御言葉の意味を悟る時、感謝の心が溢れてくるでしょう。神が「空の器」を用いられる喜びです。空の器に入れられる「喜び」(聖霊)が溢れ出し、「天国の住人」とされている喜びで包まれます。私共は神に目を注ぎましょう。神は聖霊により賜物を与え、主から務めを与えられ、神より御旨を成し遂げさせる力と働きを与えられます。(12:4~6)ですから、「霊の結ぶ実は愛」(ガラテヤ5:22)ですから「教会は愛とされる」のです。私共は「神の言葉」を悟ります。「解釈」(ヘルメネイア)(神の思いをもたらす)が許され、全ての人々に「愛と平和」「救い」を届ける賛美が与えられます。