「聖 書」
神の霊があなたがたの内に宿っている限り、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。キリストがあなたがたの内におられるならば、体は罪によって死んでいても、〝霊”は義によって命となっています。もし、イエスを死者の中から復活させた方の霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリストを死者の中から復活させた方は、あなたがたの内に宿っているその霊によって、あなたがたの死ぬはずの体をも生かしてくださるでしょう。
それで、…神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。あなたがたは、人を奴隷として再び恐れに陥れる霊ではなく、神の子とする霊を受けたのです。この霊によってわたしたちは、「アッバ、父よ」と呼ぶのです。この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊と一緒になって証ししてくださいます。もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。キリストと共に苦しむなら、共にその栄光をも受けるからです。
(ローマの信徒への手紙 8章8~17節)
「神の相続人」
本日はペンテコステ(聖霊降臨祭)です。皆様、主の御名を褒め賛えつつ、感謝を捧げましょう。ペンテコステはイースター(復活祭)から50日目に、キリストの弟子たちの上に天から聖霊が降り、教会が誕生したことを祝う日です。ユダヤ教では「七週の祭り」、あるいは「刈り入れの祭り」と言います。この時期は「過越の祭り」から50日目であるため、50を指すギリシャ語のペンテコステという呼び名が用いられています。「教会の誕生日」このことを祝う為には、まず私共は「教会」(エクレシア)を知らなくてはなりません。「教会」は「神に呼び集められた者の群れ」のことです。主の声を聴き、ここに集められた「私共」のことです。では私共は「如何なる者達」なのでしょうか。私共は「キリストと共同の相続人」です。「共に神の霊を宿し、神の子とされた兄弟姉妹」です。このことは本日の御言葉が真実に語っています。本日は使徒言行録2章を用いるのが相応しいのかも知れませんが、本教会の霊的成長のためには、本日の御言葉が最適であると示しを受けました。「教会」は「私共」であるという自己認識は、とても大切なことであると思います。私共は如何にキリスト者として、生涯を全うしていけば良いのでしょうか。これは伝統的に確かな「道」が示されています。キリストを自分の救い主と信じ、「洗礼」を受ける。そのところから私共の人生は「(新生)義化」「聖化」「栄化」へと進んで行きます。「キリストのようになる」とも呼び習わしてきました。「ローマの信徒への手紙」では、その道筋をパウロ先生が詳しく述べています。本日の8章では「聖化」について述べています。このところは先週の「昇天主日」においても「新生」「新しい生きた道」として語り、「聖化」も「真心から神に近づく」という箇所から語りました。本日は更に詳述します。本日の御言葉は私共が聖化の道を辿る時の「三位一体の神」が如何に愛をもって懇ろに私共を扱って下さっているのかがよく分かります。「聖霊聖会」にて畠神父が「キリストの霊」を「聖霊」と言われましたが、これは霊の深淵さが語られているのです。パウロ先生も敢えて神の霊を「一つ」として表現しています。神は三位一体の「愛の交わり」に私共を招き、「聖さ」に入れるように招かれています。私共は「聖の相続人」ですから「霊に従う義務」があります。主と同じものを相続する以上、同じ苦しみを通り永遠の命を相続するのです。