7月13日(日)聖日礼拝

「聖 書」

御子は、見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました。御子はすべてのものよりも先におられ、すべてのものは御子によって支えられています。また、御子はその体である教会の頭です。御子は初めの者、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられたのです。神は、御心のままに、満ちあふれるものを余すところなく御子の内に宿らせ、その十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。

 (コロサイの信徒への手紙 1章15~20節)

説 教 「万物をただ御子によって、御自分と和解させられました」

先週は本田先生の髙橋文蔵先生の追憶で、文蔵先生は「愛の使徒」であったということを改めて思いました。この生き様は「“霊„に導かれて生きておられた」ということです。この生き様は「天国の住人の姿」を最後まで失うことがないことを語り、神の「臨在」を語るものです。私共一人ひとりは、「天国」を失うわけにはいきません。本日は、天国を失わない秘訣について御言葉に聴きます。本日はコロサイ書です。コロサイの教会には問題と混乱がありました。それは、福音理解がグノーシス思想によって曲げられていたということです。そのことを一言で語るならば「ストイケイア」(世を支配する霊)(2:8)の支配です。よく御言葉を見ると、何か「神学的」な難しさが記されているように感じます。又、パウロ先生が「見えないこと」を確信を持って語っている不思議さも感じます。19節に「満ちあふれるもの」(プレローマ)という言葉があります。この言葉は元々「神的存在の総体」を言い表す当時の宗教用語です。パウロ先生は当時の言葉を用いながら、「キリストの宇宙的大支配」はストイケイアを打ち滅ぼす「神の真実」であることを告げたのです。本日は、この意味を知る為に、一人の神学者を取り上げます。カール・バルトです。(別紙)彼は一世代前の「神学」の巨人の一人です。彼は自分の神学を「神の言葉の神学」と呼びます。「弁証法神学」「危機神学」「新正統主義」としても知られています。彼の神学の功績を一言で語るならば、「自由主義神学(人間学)」の危機から「正統神学(福音)」に戻したことです。この思想は「ロマ書」「教義学」で汲み取れます。「ロマ書」はパウロ先生の「神学書」でもあります。バルトは「ロマ書」からケリュグマを正しく受け取ったのです。彼は元々「自由主義神学」の陣営だったのです。彼は正しく福音理解することができました。ここに至る為には、神学の教授であった父の愛と教えがありました。バルトの父は、息子が「自由主義神学」に傾倒することを心配し、「自由主義神学」から遠ざかってほしいと願いを持っていました。バルトが牧師になった時の助言は「神の言葉を曲げず、真理を明らかにすること」でした。遺言の最期の言葉は「学問・批評よりも、生ある身で交わりをもてるよう祈ってゆかねばならない。」でした。彼は初めて父の生き方を理解しました。彼の学問は「人間学」を排し、聖書本来の「キリストの重要」さを解くようになりました。コロサイ書の「キリスト論」と同じです。「まことの神のみを神とする」天国を失わない秘訣は「神のみ」「キリストのみ」です。