「聖 書」
神は、わたしたちをキリストにおいて、天のあらゆる霊的な祝福で満たしてくださいました。天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。神がその愛する御子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。わたしたちはこの御子において、その血によって贖われ、罪を赦されました。これは神の豊かな恵みによるものです。神はこの恵みをわたしたちの上にあふれさせ、すべての知恵と理解とを与えて、秘められた計画をわたしたちに知らせてくださいました。これは、前もってキリストにおいてお決めになった神の御心によるものです。こうして、時が満ちるに及んで、救いの業が完成され、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられます。
(エフェソの信徒への手紙 1章3~10節)
説 教 「輝かしい恵み」
パウロの語る「輝かしい恵み(ドグサ カリス)」とは何のことでしょうか。それは天国の住人とされた「恵み」です。霊的な祝福を神から頂いている「恵み」のことです。私共は同じキリスト者として、パウロが語る「恵み」を受け取り、喜び、神に感謝を捧げ、神に栄光を帰しているでしょうか。エフェソ書は、今幽閉の身にあるパウロが「獄中書簡」として、エフェソの信徒に向けて書いた「励ましの手紙」です。その内容は、「教会論」です。しかし、その実現には信徒一人一人の「輝かしい恵み」を受け取り、永遠に神を喜び、神の栄光を讃える信仰が必要とされます。パウロは本書において、「天にあるものも、地にあるものも、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられる。」と語ります。これは神の恵みの働きですが、私共キリスト者も、この神の計画に参与しています。この信仰はパウロの基本的な「福音理解」となっています。そしてパウロは「教会」について語るのです。「教会は、すべてのものが満たされている方がすべてのものを満たしてゆくー万物復元を実現してゆく活動力が充満しているー運動体である。」(神の国運動)教会は「キリストの体」です。私共はその「肢」です。ですから私共もまた「万物復元を実現してゆく活動力」の一人一人なのです。では私共が、この運動に参与する為には何が必要なのでしょうか。それは神から頂いた「輝かしい恵み」を輝かしい恵みとして受け取る信仰のみです。私共の教会は今、成長の時を迎えています。何故、教会成長がここにきて起こってきたのでしょうか。それは他ならぬ先代の主任牧師の「くずおれ」が原因です。牧師自らが「くず折れる」ことを通して、自らの力に頼ることなく、神に完全に寄り頼むことができたことが、転換の原因です。神は「明け渡す者」をお喜びになります。神は御自身を信頼する者をお喜びになられるのです。「福音」は私共の前に既に用意されています。人は、それを「ただで」受け取るだけです。福音を「ただで」受け取る心こそが、神が喜ばれる人の姿なのです。人が「ただで」福音を受け取るならば何が起こるのでしょう。それは本日の御言葉が語る如く、「輝かしい恵みを讃える」ようになります。そして恵みは更に増し加わり、「神の秘められた計画を知る」者とされます。「神の秘められた計画」とは何か。それは「万物の復元」です。(創1:31)「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」私共もまた、この復元の救いの業に参与していくのです。