7月27日(日)聖日礼拝

「聖 書」

洗礼によって、キリストと共に葬られ、また、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。肉に割礼を受けず、罪の中にいて死んでいたあなたがたを、神はキリストと共に生かしてくださったのです。神は、わたしたちの一切の罪を赦し、規則によってわたしたちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けして取り除いてくださいました。

(コロサイの信徒への手紙 2章12~14節)

説 教 「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて」

ここ何週間に亘り、「霊的命を生きる」という話をしてまいりました。このことは「新しい人を身にまとう」という神秘体験でもあります。本日の御言葉は、その神秘を語ります。短い御言葉ですが「キリストと共に」という言葉が三度出てまいります。「キリストと共に葬られ」、「キリストと共に復活させられ」、「キリストと共に生かしてくださった」。これはキリスト者の「キリストの内住」を語るものです。私は「弱い」「きずのある者」であると証ししました。ですが「救われています」とも証ししました。その意味はキリストの救いである和解を得ているからです。キリストが内住して下さっているからです。このことは、前述した「新しい人を身にまとう」体験です。私は弱いのです。しかし、私は弱い時こそ強いのです。ここ何回かに亘り、カールバルトの話もしてきました。バルトはドイツの戦時下で「バルメン宣言」を草案しました。(別紙にて紹介)簡単に言えばキリスト以外の権威には降伏しないということです。「キリストがすべて」ということです。これは信仰の意地ではありません。キリストが私と共に生きて下さっている「証し」です。「告白教会」に連なるボンヘッファーも強制収容所で刑死しました。39歳の若さでした。日本においても、戦時下では天皇を神として礼拝しました。ホーリネス系教会は礼拝を拒否して迫害を受け、投獄され、獄中死した者も多くいました。迫害に立ち向かうのは、キリストが共におられるからです。コロサイの教会は「グノーシス」に騙されていました。「グノーシス」は「偽の知恵」です。「ストイケイア」や「シンクレティズム」に翻弄されていたのです。今で言うならば、「科学万能主義」や「マルクス主義」(無神論や金満主義)に洗脳されることと似ています。どれも神の救いを必要としないということでは同じです。私は子どもの頃から私の中におられる方が「キリストである」という確かな確信を得るのに時間がかかりました。それを解決して下さったのが、仲村堪先生でした。先程の弾圧を経験した淀橋教会の長老の方です。先生は愛の人でした。私は先生を尊敬し、信頼しました。先生の中におられる「生きたキリスト」を発見しました。私は私の中の「キリストの内住」を確信しました。このことは信仰の飛躍でした。「キリストを死者の中から復活させた神の力を信じる」という主体的な信仰決断をその時にすることができました。キリストの救いの喜びで満たされたことを覚えています。神はあなたを救います。新しい人にします。先達に倣い、証し人の人生を参ります。