7月30日(日)聖日礼拝

「聖 書」

神を愛する者たち、つまり御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。

(ローマの信徒への手紙 8章28~30節)

説 教 「万事が益となるように共に働く」

先週に「毒麦のたとえ」が語られました。「神の忍耐と愛」です。この意味については深淵であるとお伝えしました。本日の御言葉は、その深い意味を補填するものです。私共の内に外に毒麦が共に育ちます。主人は「両方とも育つままにしておきなさい」と命じます。私共はどうすれば良いのでしょうか。私共の周りには毒麦だけではありません。苦難、苦しみ、挫折、失敗、苦闘、敵意、憎しみが私共の心の中に跋扈しています。パウロ先生は(8:18)において、「現在の苦しみは、将来、わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」と語っています。本日は「聖霊聖会」ですが、私は「救い」について語ろうと思っています。本日の御言葉とも関連しています。私は今まで「荒野の40日」を通して、神の言葉の大切さを伝えてきました。しかし「神の言葉」は聖霊の働きを通して得られる信仰によって実を結ぶものです。ですから続いて、「(霊の命)ニコデモ」「(信仰)トマス」「(愛)ペトロ」が求めていることをお伝えしました。本日は「(赦し)マタイ」です。マタイ書にはマタイの信仰告白は為されていません。しかし彼は主の言葉にすぐに従ったことが記されています。マタイの信仰告白です。主は彼の家で食事をしている時に、批判されました。主は彼らに答えられました。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」この答えは、マタイに対する「赦し」の言葉でもあります。私は「悪いことは西川で、良いことは專一」と言われてきました。私は救われたいと願ってきました。私は長じて、己の悪さよりも悪意の方が怖いことを知りました。私は妬みます、恨みます、悪意を抱きます、敵意を持ちます、憎みます、絶対に許しません。私は悪に支配されています。私は「敵意」から救われたいと願います。そのことが私の救いです。「天国」です。私が、どのような者であっても「良い種」を蒔かれた私は必ず実ります。聖化されます。キリストに似た者とされるのです。これは確実です。御言葉の通り、「神の御計画」だからです。では私は何をすればよいのか。それは「祈る」ことです。週報に掲載した祈りです。「すべての喜び、楽しみ、幸い、悲しみ、苦しみ、不幸を万事が益となるようにしてくださる神に先取りの感謝を捧げ、神の栄光のみを現せることを願う祈り」を捧げるのです。全てが共に働き、栄光が現わされます。