「聖 書」
イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得、わたしはその人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降ってきたパンである。先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」
(ヨハネによる福音書 6章51~58節)
説 教 「わたしを食べる者もわたしによって生きる」
本日の御言葉は「五千人の供食」の結びの部分です。主イエスの「しるし」の数々に出会ったユダヤ人たちはイエスのところに集まってきました。主は彼らに言われました。「わたしは天から降って来たパンである。」「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉である。」「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に(永遠の)命はない。」彼らは主の言葉を聞いて、つまずき、つぶやきました。特に「血を飲む」との言葉に反応したのです。この言葉の行動は禁忌です。彼らは即座にレビ記17章の「血を飲むな」を思い起こしました。彼らの反応は当然のものでありました。しかし彼らの反応は「永遠の命」に結びついていません。天の父から学び、主イエスのところに来ていないのです。それゆえに主イエスの言葉の意味を理解できないのです。主は彼らのつぶやきを聞いて、本日の御言葉の後節で、「命を与えるのは“霊„である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、(永遠の)命である。」と言われました。主が語られた「血と肉」は「受肉」(1:14)のことであり、「人格」(ペルソナ)のことであり、「永遠の命」の世界のことです。主が言われたことは、箴言9章の「わたしのパンを食べ、わたしが調合した酒を飲むがよい。」(9:5)の意味です。この箇所は「知恵(ホクマ:言(ロゴス))の人格化」と言われます。続く御言葉には、「浅はかさを捨て、命を得るために分別の道を進むために。」とあります。これは救いに与った信仰者の「神に聴き従う人生」を表しています。「グレース(恵み)」の人生を歩む秘訣です。週報の挿絵を御覧下さい。チャールズ・ワイデン氏の夕食の祈りの写真です。彼は無名の方でした。しかし有名な写真家エリック・エンストロムが「グレース(恵み)」として、この作品を世に出したことにより、見る者に感動を与え、世に広く知られるようになりました。敬虔な信仰者の美しい姿です。イエスも同じく祈られました。そして言われたのです。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。」(4:34)主が言われた「血を飲む」とは(レビ17:11)「血はその中の命によって贖いをするのである。」のことです。主イエスの十字架の贖いのことです。主は私共に福音を伝えられました。私を信じなさい。私の「肉」をあなたの血肉(経験)とせよ。そして「世の光」となり、世に「福音」(命)を広めなさい。