8月3日(日)聖日礼拝

「聖 書」

さて、あなたがたは、キリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさい。そこでは、キリストが神の右の座に着いておられます。上にあるものに心を留め、地上のものに心を引かれないようにしなさい。あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命はキリストと共に神の内に隠されているのです。あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたもキリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。…古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。そこには、もはや、…奴隷、自由な身分の者の区別はありません。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにおられるのです。

(コロサイの信徒への手紙 3章1~11節)

説 教 「造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて」

「ハイデルベルク信仰問答」問1「生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。」答「わたしがわたし自身のものではなく、身も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもって、わたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解き放ってくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も頭から落ちることができないほどに、わたしを守ってくださいます。実に万事がわたしの益となるように働くのです。そうしてまた、御自身の聖霊によってわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜ぶように、またそれにふさわしいように整えてもくださるのです。」愛餐会にて「ハイデルベルグ信仰問答」を学び始め、どれぐらい経ったでしょうか。いよいよ最終ゴールが見えてきました。本日は「問1」を思い出していただきたいと願います。キリストを信じ、今を生きる私共の「すべてのすべてはキリスト」です。私共を個的にただ守って下さっている方がキリストではありません。私共は「御国を信じ」、「キリストの御体」として「神の家族」を生きています。私共は兄弟姉妹、父、母、神の子供なのです。私共の命は「キリストと共に神の内に隠されているのです。」私共は常に「天の故郷」を目指しつつ、今、この現実の只中で、「上にあるものを求めて」歩んでいきます。世にある(下にあるもの)に心を奪われてはなりません。世に倣わず、「主に倣う」のです。週報の挿絵を御覧下さい。「主の洗礼」の場面です。主も人として洗礼を受けられました。神に全てを委ねた姿です。まことの洗礼の姿です。神の計画(御旨)に従い、神の使いが守り、聖霊が降られています。主は神でありながら「自分に死んで」、神と共に生きておられるのです。私共も「新しい人」とされました。私共には「キリストが内住」して下さっています。私共は「古い人はその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達し」、平安と喜びを得た人生を歩んでまいりましょう。ここに記す「身に着け」は(エンドュオー)で、「着る、身にまとう」の意味です。習得の意味ではありません。ここの「身に着ける」は「キリストを着る」「キリストを身にまとう」のことです。キリストを着ることが「新しい人になる」ことなのです。その意味は、自らを表す姿が「己でなく」、「キリストである」ということです。キリストに委ね、新たにされましょう。