「聖 書」
ねたみや利己心のあるところには、混乱やあらゆる悪い行いがあるからです。上から出た知恵は、何よりもまず、純真で、更に、温和で、優しく、従順なものです。憐れみと良い実に満ちています。偏見はなく、偽善的でもありません。義の実は、平和を実現する人たちによって、平和のうちに蒔かれるのです。
何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いが起こるのですか。あなたがたの内部で争い合う欲望が、その原因ではありませんか。あなたがたは、欲しても得られず、人を殺します。また、熱望しても手に入れることができず、争ったり戦ったりします。得られないのは、願い求めないからで、願い求めても、与えられないのは、自分の楽しみのために使おうと、間違った動機で願い求めるからです。
(ヤコブの手紙 3章16節~4章3節)
説 教 「平和のうちに蒔かれる」
ヤコブ書は「成熟したキリスト者」の姿を描きます。主イエスに出会い、救いを得た者が通る「道程」を教えます。キリスト者の人生は「戦い」の人生です。しかし「天国」の人生でもあります。本日の御言葉は、キリスト者の「敵」は何か。その敵に対する「対処」は何かを教えています。しかし対処を知っても、敵に勝つ方法を得たわけではありません。本日の御言葉を通して、キリスト者の「勝利」とは何かを共に学びましょう。私は若い頃に父と「宗教」の論議をしたことがあります。父が新興宗教に嵌っていたからです。私は父に強く言いました。「親父は、その宗教に命を懸けられるか。俺は懸けることができる。」父は公害喘息で、何度も死にかけた苦しさから宗教に救いを求めていたのです。今は思いやりのない言葉を投げたことが分かります。本日の週報の言葉「知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。」(3:13)時は遅しです。皆様は今からでも気づくことができます。キリスト者は知識で立つのではない。キリスト者は信仰によって立つのだ。神の恩寵でのみ生きていることを知り尽くしている者がキリスト者である。信仰は私共の「行い」を変え、「良い実」を結ぶのです。成長したキリスト者とされましょう。私共には敵がいます。「地上のもの(世)」「この世のもの(肉)」「悪魔」です。世は神に、肉は聖霊に、悪魔は御子に敵対しています。私共には戦いがあります。「互い同士の戦い」「自己に対する戦い」「神に対する戦い」です。この敵と戦いは、人と人の間に、自分の中で、神と人の間に「混乱」(アカタスタシア:秩序の乱れ)を招きます。この原因は「世の知恵」(罪と悪)に支配されているからです。私共は「上からの知恵」を求めなくてはなりません。では「上からの知恵」とは何でしょうか。それは「神」であり、「平和」であり、「愛」です。「上からの知恵」は信仰の実「義の実」を結ばせます。私共は信仰の戦いに勝利し、平和を実現しましょう。「義の実」は「平和を実現する人たち」によって、「平和のうち」に義の実の種が蒔かれるのです。「平和を実現する」「平和のうち」とは何でしょう。それは、「天国」のことです。天国を持っていることです。天国を広げていける人々のことです。では「天国」とは何か。それは、「義と平和と聖さ」が存するところです。これは「神の臨在」を現す「神の支配」を意味しています。この「神の支配」が聖書が語る「天国」です。「天国」は今、ここにあります。私共は平和のうちにいましょう。神に祈り、聴き、神に喜ばれる道を進むことが平和です。