9月25日(日)聖日礼拝

「聖 書」

しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。

(テモテへの手紙一  6章11~16節)

「しかし、神の人よ」

先週、牧会者が困難を覚える時は「まず祈れ」とパウロ先生が教えていると説き明かしをしました。しかし、これは信徒も同じです。信仰生活の中のあらゆる困難に立ち向かう秘訣は「祈り」です。この「祈り」は「敵」にさえ向かう祈りであることも先週申し上げた通りです。私は、その具体の先例(ヒュポティポーシス)を語ることを忘れていました。パウル・シュナイダー牧師です。彼はドイツの告白教会のメンバーでした。プロテスタント教会の牧師の初めての「殉教者」です。彼は、ナチスによって神の言葉が改竄されることを許しませんでした。その結果、彼は服役し、殉教したのです。彼は、自分の考えを語り続け、良心(神)の命令に従いました。彼の牧師の友人仲間の何人かは、ナチスとの対立を避けるようにと彼に進言しました。彼は殉教を求めたのではなく、主に従わなければならないと答えました。彼の牧会者としての責任は、神の家族が「永遠の命」に向けて備えることであり、彼らの物質的な幸福(欲)を保証することではないと語ったのです。これは本日の御言葉の具体でもあります。更に具体を語る為に「活水」を用意しました。湯本牧師です。先生は私の同期の先生の御子息です。先生は「主にある勝利者」という説教の中で、主に委ねる人生を選び取る時に、「私が願っていたよりもずっと素晴らしい方法で」と「主にある勝利」の意味を語っておられます。(別紙)本日、パウロ先生は困難に直面する弟子テモテに「しかし、神の人よ」と、奨励を結ぶにあたり呼びかけました。ここに答えがあります。悩んでいる自分に「神の人」とされている恵みが降り注ぎます。どのような困難や思い煩いも神に打ち明け、神に示され、神の計画に生きるならば、勝利を得るのです。主イエスが先に、その道を行かれました。パウロ先生は(1:5)で「わたしの命令は正しい良心と純真な信仰とから生じる愛を目指します。」と奨励されました。これは、教会を「愛の共同体」として「キリストの体」を建て上げよの意味です。これは信仰の具体の手引きです。信仰者として「御霊の実」(ガラテヤ5:22)を結ぶために、聖霊を信頼し、聖霊に導かれよと語られてもいます。互いに悪を排し、互いに愛し合い、互いに仕え合うことは理念ではなく、具体的行動です。主の掟です。私共は祈りを合わせ、一つとなり、愛の共同体を建て上げていく責任が神から委ねられています。共に恵みの中を行きましょう。