「聖 書」
しかし、神の人よ、あなたはこれらのことを避けなさい。正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。命を得るために、あなたは神から召され、多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。万物に命をお与えになる神の御前で、そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、あなたに命じます。わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。
(テモテへの手紙一 6章11~16節)
説 教「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい」
パウロ先生は弱さを覚えている愛弟子テモテに、まず自分の弱さを語りました。1章「神の憐みに対する感謝」です。先生は自分のことを「罪人の中で最たる者である」と告白しました。これは真実な告白です。先生は神の前に「まことのへりくだり」を生きているのです。又、その姿を愛弟子に見せているのです。本日の御言葉は、そのテモテに対して書いた手紙の結びの部分です。パウロは、本日の御言葉で最も大切なことをテモテに告げました。「信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」この戦いは、パウロ自身も今も為し続けていることなのです。パウロの語る「信仰の戦い」は「正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和」を追い求めることです。ここに語られていることは「偽善の行為」では勿論ありません。それならば誰が、この語られた道を行くことができるのでしょうか。まして「罪人の頭」とまで告白するパウロ先生に、偽善ではなく、「まこと」を追い求めていくことができるのでしょうか。先生は「追い求めよ」と言われているのです。この真実な意味は、不信仰と罪に打ち勝つ方法を語るものです。「信仰の戦い」は私共自身には勝利はありません。内住のキリストが私共に迫る「愛と正義」は、主と共に、いえ、それ以上に主が前に出て下さることを通してでしか勝利はないのです。先日見ていたTVで通訳者の戸田さんが大谷選手のファンになったことを公言していました。そして大谷選手の全てが「美しい」と言われていました。立ち居振る舞いや言葉の選び方、アスリートの姿、などに美しさを感じると言うのです。共感を致しました。ではクリスチャンは如何でしょうか。私は主イエスは間違いなく美しかったと思います。そこには「真実」があり、「嘘」がありません。「嘘がない姿」は美しいです。パウロは弱さを覚えている愛弟子に「あなたにゆだねられているものを守りなさい」と語りました。「ゆだねられているもの」は「信仰」です。「天国(御国)」です。私共が「御国を受けている」以上、主は「愛と正義」を求められます。しかし私共は主の基準を生ききることはできません。自分が「不束な者」であることを知るばかりです。それでいいのです。先生はテモテに落ち込んでいて良いと言っておられるのです。不束な者の姿、罪人の頭である姿、その「ありのままの姿」「嘘がない姿」のまま主に委ね、永遠の命を手にしようとする、主に従う生涯。主が召し、私共に求められる生涯(十字架の道)を弱さのままで歩んでいくところに真実があり、美しさがある。テモテへの最大の励ましの手紙です。