「聖 書」
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。」
(ルカによる福音書 6章17~26節)
「喜び踊りなさい」
主イエスが公生涯に入られ、幾月が経ちました。主は福音を告げられ、神の業(しるし)を為し、弟子たちを招かれました。主イエスは人々の罪を担い切る覚悟で宣教の道を進んでおられます。では招かれた弟子たちには、主の心が理解できたのでしょうか。それは勿論に否でありましょう。主は弟子たちに信仰の「天の国の喜び」を教える為、「平地の説教」を語られるという場面が本日の御言葉です。(2010.2.14、2019.2.17参照)ペトロ達は先週に語りました如くに、主イエスに「神」を見て、「すべてを捨てて」主に従いました。このペトロの姿は私共にも理解できるものです。しかし主の道は未だ理解できないので、悟りの「教え」を受けているのです。主は十二弟子(使徒)を選ばれましたが、他にも大勢の弟子がいました。(6:17)周りにはおびただしい民衆(オクロス)もいました。主は山(神と交わる)から下りて平地(民と触れ合う)に立たれました。主は福音の「現実の姿」を弟子たちに告げられました。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」この姿は、全所有を放棄して、貧しい者に喜捨し、主に従う弟子(聖者)を表しています。それと共に、ルカの興味は、現実の「人の生きる姿」にあることから、福音が現実化した姿が「平地の説教」にて語られていることも勿論告げています。私共は福音を聴きました。しかし福音は「現実化」するものです。私共の「今」生きる世界に起こる出来事なのです。では福音は、どこに起こるのか?それは「「霊」において貧しく、神にのみ依り頼む人々」(マタイ「山上の説教」)に起こるのです。イエスは宣教の先々で起こる福音の出来事の真理を悟るように、今、平地の説教を語っておられます。私共も真理に目を開かれましょう。福音は貧しい者(プトーコス)に解放を告げ、福音を受け入れる者に天の国を与えられる。福音は飢えている人に、福音を受け入れた分け与える者から糧を得て、満たされる。福音は泣いている人と共に泣く者を与え、共に笑うようになる。主は、このことは「今」起こると告げています。又、主は人間の肉の弱さも告げられました。富や人に頼り、神を忘れる現実です。主は、このことは「不幸」(オーアイ)であると言われました。その道は死に至るから行くなという回復を願う言葉です。この真理はエレミヤ書17:5~に記されていることは以前語りました。福音を生きる困難は「天の国の喜び」の現実です。