2月6日(日)聖日礼拝

「聖 書」
シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子ヤコブも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
(ルカによる福音書 5章1~11節)

「主よ、わたしから離れてください」

2022年に入り、早2月の第一主日を迎えました。本年の福音書は「ルカ書」を中心にして御言葉に聴いてまいります。本日の御言葉は私が牧師となり、何度か解き明かしを致しました。解き明かしを振り返ると、どれも間違いではありません。しかし今にして思うと「深み」が足りません。「深み」は「信仰の信実」のことです。本日の御言葉は「ペテロの召命」です。このところの大切なことは、ペトロの「聖なる体験」です。ルカ書は「御言葉」(神の言葉)を大切にします。「御言葉への聴従」を大切にするのです。ルカは底本をマルコに置きながら、物語の順番を変え、出来事に独自の出来事を加えて、伝えたいことを強調します。その一つが「神の言葉」の「聖」であることの強調です。ルカは「神の言葉」は神そのものであり、聖霊の働きであることを読者に伝えているのです。ペトロは初め神の言葉に聴く者ではありませんでした。その証拠に、姑のいやしを知る者でありながら、神の言葉を聞こうとする群衆の中には入らずに、主の近くにいながら、網を洗っています。主はペトロ達のところへ行き、「(あなたがたは)湖(海)に出て、漁をしなさい」と命じます。年長者であったペトロは、主に対し、「先生、お言葉ですから(わたしは)網をおろしてみましょう」と返答し、実行しました。すると「大漁」を経験したのです。ペトロは奇跡の出来事の事実よりも「聖なる体験」をしたのです。その証の言葉が「主よ」です。「先生」から「主」に変わりました。そして続けてペテロは、「わたしから離れてください。」と言いました。直訳すると「わたしの内から出て下さい」となります。この体験は彼を「人間をとる漁師」に変え、「使徒」へと導く礎となりました。このペトロの経験こそが「信仰の信実」であり、神の愛、救いの真実の姿です。私共は皆、同じ体験をしている者です。以前、韓国の教会の働きで、「ラブ・ソナタ」が10年開催されました。創始者は、ハ・ヨンジョ牧師です。師は青年期に聖霊体験をしました。キリスト者家庭に育ちながら、主との個人的な出会いがなく魂の渇望に苦しみました。彼は修養会での体験と先輩信徒の祈りの出会いによって、突然に思いがけずに聖霊が降りました。その時、涙が止まらなかったそうです。この体験は師の信仰の礎になり、「愛の使徒」となられたのです。神は私共に片思いしておられます。神と私共が両思いになる時、祝福と喜びの人生が始まります。