6月16日(日)三位一体聖日礼拝

「聖 書」

このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。

(ローマの信徒への手紙 5章1~5節)

説 教 「父と子と聖霊と」

先週は「聖霊降臨日礼拝」でした。私達が信仰を得ること、私達の共同体が、「愛の共同体」になる為には、聖霊を受けることが必須であるということを、御言葉を通して学びました。聖霊降臨日の次の週、つまり本日はキリスト教暦では「三位一体主日」となっています。先週の御言葉を更に補完(完成)させる御言葉が本日のものです。私達は神の愛を通して「一つ」とされます。愛の絆で結ばれるのです。その為の秘訣が三位一体の神秘です。本日の御言葉を御覧下さい。「主イエス・キリストによって神との間に平和を得ている。」「聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれている。」「神の栄光にあずかる希望」私達が信仰による義(神との正しい関係に入ること)を得るのは、三位一体の神の神秘(愛の絆)によるのです。このところの神秘を黙想家であったスイス人神父モリス・ズンデルが「慎ましい現存」の中で語っています。「キリスト教の神は孤独な一者ではなく、父と子と聖霊という三つの異なるペルソナが、愛の交わりの内に一つとなっている三位一体の神です。愛には、愛する者と愛される者がなくてはならず、愛の本質は、自分を眺めず、愛する他者の方に向き、自分のすべてを他者に与え尽してしまうことにある。」如何でしょうか。私共が「愛の共同体」を造り上げていく上での「秘訣」が語られていないでしょうか。私共は「一つ」となる為に「聖霊を受ける」ことを願い、祈りを捧げ続けなくてはなりません。そして、唯一の神が「三位一体」の「愛の交わりの神」である神秘を悟り、他者に対して、「自分のすべてを与え尽し、貧しい者」とされる時に、聖霊は豊かに私共に「神の愛」を注がれることを味わい知る者と為されなくてはなりません。ズンデル神父は続けて、次のように語っています。「父は何も持たない。父は子に対する一つの眼差し。子は何も持たない。子は父に対する一つの眼差し。聖霊は何も持たない。聖霊は父と子への一つの息吹。神は貧しい。神は何も持たない。神は何も持たない故に神である。それゆえ、「貧しい神」を見いだすことは、「キリスト教の鍵」である。」続けて、神父は語ります。「三位一体は、私達を偽りの神から救い、内的な神の現存、心である神、何も持たず、正に何も持たない故に神である神、私達のように自己に貼り付かない神の前に私達を置いて下さいます。」神は愛なのです。神の愛の姿を「三位一体」から悟る時に、私達は偽りの信仰から離れ、真の神に立ち帰ることができます。私共は愛の神である「三位一体の神」に賛美を捧げましょう。