6月23日(日)聖日礼拝

「聖 書」

わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。

(コリントの信徒への手紙 一 11章23~26節)

説 教 「新しい契約」

本日の御言葉は「聖餐式」で読まれる言葉です。ここで語られる「新しい契約」は何のことでしょうか。本日は、主イエスが「最後の晩餐」にて語られたこの「新しい契約」について御言葉から聴くことに致しましょう。聖書は旧約聖書と新約聖書と呼ばれます。これはキリスト教が信じる「新しい契約」をもとに、そのように呼ばれています。元の聖書はユダヤ教ではトーラー(律法)と呼び、新約は認めていません。元の聖書が語る「新しい契約」はエレミヤ書31章のことです。そこには何が記されているかと言うと、「しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれである、と主は言われる。すなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。そのとき、人々は隣人どうし、兄弟どうし、「主を知れ」と言って教えることはない。彼らはすべて、小さい者も大きい者もわたしを知るからである、と主は言われる。わたしは彼らの罪を赦し、再び彼らの罪に心を留めることはない。」(31:33~)この預言の成就が主イエス・キリストです。主イエスは、「わたしは律法を廃止するために来たのではなく、律法を完成させるために来た。」(マタイ5:17)と言われました。そして「最後の晩餐」にて、このエレミヤの預言である「新しい契約」を語られたのです。旧約である「旧い契約」はモーセ契約(シナイ契約)です。その契約は、石板に刻まれました。私達の「外側」に存在し、目にすることができる契約の言葉です。私達は神が与えらえた律法を自分の外側に置くのではなく、自分の内側に刻み、律法を生きることができるならば、人生の喜びや充実が図られ、神と共に「幸い」を生きることができます。律法が与えられた目的は、まさに「それ」(命が満たされ幸いを生きる)だったのです。しかし人は律法を守ることが適いませんでした。「罪」(自己中心)が根源を支配していたからです。その罪を打ち破るために神から遣わされたのがメシア(キリスト)です。この救いの預言を「新しい契約」として、エレミヤは語ったのです。今、私共は主を信じています。私共は「新しい契約」の中に入れられているのです。私共はいのちに「変革」を与えられているのです。それはどのような変革か。それは「新しい契約」「新しい歌」「新しい心」「新しい霊」が与えられ、霊的な喜びに満たされている「変革」です。この「変革」は死から命に移されたキリスト者の証しに見られます。ゴスペルに表された讃美に見ることができるのです。