9月27日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「ところで、あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」

(マタイによる福音書 21章28~32節)

説 教 「義の道」

本日の御言葉には「天国の住人とされる」ための大切な秘訣が記されています。その秘訣とは何でしょうか。それはバプテスマのヨハネ(預言者)の言葉を信じることです。神が用意された「義の道」を信じることです。ぶどう園に行って「働く」ことです。主が本日語っておられます。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」これはどのような意味なのでしょうか。主は、この意味を教えるために「二人の息子のたとえ」を語られました。たとえに出てくる兄は「徴税人や娼婦たち」です。弟は「祭司長や長老たち」です。宗教の大家は口では神に従っているようですが「行い」がありません。罪人と呼ばれていた人は口では神に従っていませんが「行い」においては、神に従っています。ここに記されている「行い」とは何でしょうか。それはバプテスマのヨハネが語った「義の道」を信じることです。ではヨハネが示した「義の道」とは何でしょうか。それはメシアの到来を信じ、「悔い改める」ことです。神の用意された救いの道の「義の道」です。主はエルサレム入城を果され、神殿粛清の後に、宗教家たちと「権威問答」を為しました。その問いに対する答えが、本日の御言葉です。「徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。」の言葉は福音書において唯一でありマタイ書にのみ記されています。また福音の内実を強調しているのです。マタイは徴税人でした。ですから主の語られた「二人の息子のたとえ」は、よく理解できました。今、徴税人として差別されているマタイもまた、神の息子である。神の民であるイスラエル人の中では、宗教家は口で正しいことを語り、罪人は口で正しいことが語れずに、神の前に下を向いている。しかし神は「神の子」に福音を届けられた。メシアの到来です。この事実をバプテスマのヨハネは預言しました。そして主イエスを指示したのです。マタイは信じたのです。ヨハネの言葉を、神の「義の道」を。彼は信じて救われました。天国の住人とされたのです。霊的な救いの体験です。先々週お語りした如くに、彼には「一万タラントン」の借財が神にありました。先週お語りした「魂の渇き」があったのです。彼は「義の道」に立たされ、考え直した(メタローマイ)のです。メタローマイは後悔の意です。罪を告白する場所を見出したのです。義の道は全ての人の魂を救う道なのです。