4月19日(日)聖日礼拝

「聖 書」

彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。

すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。信者たちは皆一つになって、すべての物を共有にし、財産や持ち物を売り、おのおのの必要に応じて、皆がそれを分け合った。そして、ひたすら心を一つにして神殿に参り、家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え、一つにされたのである。

(使徒言行録 2章42~47節)

説 教 「心を一つに」

本日の御言葉は「教会」の始まりです。「教会」とは「私共キリスト者」のことです。教会には使命があります。本日は、その教会の使命について、又、その目的について御言葉に聴くことに致しましょう。主の復活の証人となったペトロが聖霊降臨を受け、イスラエルの人達に説教をしました。すると、その日のうちに三千人ほどの者が仲間に加わりました。その続きが本日の御言葉です。仲間に加わった彼らは「使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。」と記されています。これは、主の三重の務め(ミニストリー)と呼ばれるものです。イエス・キリストは三重の務めを為されました。使徒性、祭司性、奉仕性です。現在教会は、この主の三重の務めを受け継いでいます。その目的は、救われた者達が、「主の現臨」の中を生きるためです。「パン裂き」に主は現臨されています。また、この行為の使命は、「主に招かれ、救われる者を日々、仲間に加え、「一つ」にする」ためです。つまりそれは、(諸霊の支配の)世に、神の光を照らし、「天国の先がけ」を実現していくことです。私共の教会はどうでしょうか。世界の教会はどうでしょう。救いを求めて教会の門をくぐる者がいます。その訪れた教会は主の臨在に満たされているでしょうか。何も無いように見えて、「安心」と「平安」が満ちているでしょうか。いつまでも「ここに」いたいと思わせる場所でしょうか。教会には神の愛が満ちています。ですから教会は「凛」としています。そこには甘さはありません。主が現臨され、「裁き」「赦し」「聖」があるのです。本日の御言葉が記す、「(信者たちは)ひたすら心を一つにして神殿に参り」もまた、教会が聖であることを語っています。それと共に教会は真に「一つ」なのです。天国は、この「一つ」に集約されています。「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(キリストの)体は一つ、霊は一つです。」(エフェソ4:3)つまり教会はキリストの体であるということです。私共が主にあって心を一つにするときに、私共はキリストの体です。キリストは頭です。教会はキリストの姿です。主は貧しい者は幸いです、天国は彼のものですと教えられました。現に天国では「貧しい者」が満ち足れる所です。その先がけが「分け合い、満ち足れる」本日の教会の姿でしょう。私共、全ての教会が「天国の先がけ」を創造する幸いを与えられています。