4月26日(日)聖日礼拝

「聖 書」

ダビデは預言者だったので、彼から生まれる子孫の一人をその王座に着かせると、神がはっきり誓ってくださったことを知っていました。そして、キリストの復活についても前もって知り、

『彼は陰府に捨てておかれず、その体は朽ち果てることことがない』

と語りました。神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です。それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。

(使徒言行録 2章14~33節)

説 教 「復活の証人」

「あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」ペトロの熱い声が聞こえてくるようです。復活節第三主日を迎えました。先週の礼拝にても、お語りした如くに、私共は「復活の命」を今、生きています。「わたしは、道であり真理であり命である。」と言われた「いのち」を今、生きているのです。本日のペトロは、その「復活の命」である「いのち」を証しする者として、ペンテコステ後に集って来たエルサレムの人々に「説教」を致しました。ペトロは説教をしたのです。ペトロの体験や経験、感動や知見や私見を語っているのではありません。ペトロは聖霊に満たされて、説教を語っているのです。本日の御言葉は、とても大切なことを語っています。「あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。」の意味は、聖霊を受けた弟子たちが「新しい酒に酔っている」ように見えた出来事のことを言っているのではなく、聖書の「メシア預言の成就」を、あなたがたは今、見聞きしているのだの意味です。ペトロ達は主の昇天後に10日間心を一つにして祈っていました。主の約束された「聖霊」を待ち望みつつ、祈っていたのです。その後の出来事は、よく知られている通りですが、聖霊降臨は「教会の誕生」として知られています。では教会とは何でしょう。教会には使命がありますが、それは何でしょうか。そこに呼び集められている信仰者の使命とは?このことは先週お語りした説教とも合わせて、お語り致しましょう。教会の始まりは、「復活の主を待ち、「甦りの主」によって始められた」ということが重要なことです。また教会の発展は、復活の主イエス・キリストが伝道・宣教活動の先導者であって、昔も今も未来も主によって為されているという「恵み」です。この「恵み」の事実があったからこそ、ペトロの説教後に三千人ほどの人々が救われたのです。そして彼らは「主の三重の務め」を共にする教会の仲間となったのです。務めの一つに「使徒の教え」(ケリュグマ)があります。これは教会の権威という意味ではありません。「十字架、復活、昇天、聖霊」の「教え(事実)」を正しく継承しなさいという意味です。ペトロは私見を語ったのではなく、「メシア預言」の聖書の言葉を解き明かしたのです。その御言葉が成就し、今、そのことを体現(復活の証人)していることを証ししたのです。私共もまた、復活の主を証しし、御言葉を宣べ伝える使命が与えられています。