1月31日(日)聖日礼拝

「聖 書」

一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

(マルコによる福音書 1章21~28節)

説 教 「神の聖者」

カファルナウムはガリラヤ湖の北西岸にあり、ペテロたちの故郷です。主は、ここをガリラヤ伝道の拠点にしました。そこにはシナゴグ(ローマ兵の百人隊長が建てた会堂(ルカ7:5))の跡地があります。その前の広場の端にペテロ像が立っています。右手に天国の鍵を持ち、左手にはイエス様から引き継いだ羊飼いの杖(ダビデの子孫)を持っています。足元には聖ペテロの魚があります。この場所は主の宣教の大切な所でした。当時ここにはローマ軍の駐屯地がありました。また収税所も置かれていました。町は商業と漁業で栄え、要衝の地でありました。徴税人マタイの回心や五千人の供食の出来事があった場所でもあります。マルコは主の宣教の開始を、ペテロから聞いて、具体的に生き生きと描いています。(一ペテロ5:13)本日の御言葉です。主はペテロたちを招かれた後に宣教を始めます。その描かれ方は、21-34節を主の一日の出来事として記し、「主の生涯の働きを凝縮」しています。主の生涯は「宣教」なのです。本日の御言葉を見ると、主は会堂(シナゴグ)に入り、(エイスルコーマイ中へ)そして、評判は広まる(エクセルコーマイ外へ)とあります。その初めから宣教の業が広がっていく様子が記されています。そしてその訳は主に「権威」があったからだとマルコは証ししているのです。マルコはパウロから頼りない青年だと思われた時もありましたが、その後、パウロに頼りにされ、ペテロから「わたしの子」とまで呼ばれた人です。そして二人の殉教を契機に福音書を書きました。その頃は、立派な牧者マルコです。マルコ書が書かれた頃、迫害の厳しさが増していました。信仰を持つ大切さや、福音を生きる力、神の国の希望を知る必要がありました。牧者マルコはローマの人々にペテロから聞いた「イエスの姿=神の子」を実際的に語る必要がありました。23-26節に主を「神の聖者」だと叫ぶ悪霊の姿が描かれています。この話は宣教の先々で見られた出来事であり、ペテロから直接聞いた話であったことでしょう。その話を22・27節の「権威ある者」で挟み込み、マルコは、この話を解釈したのです。律法の権威は律法自身にあり、正しく解釈されたときにのみ、権威は存在します。しかし悪霊自身が証ししたように、主は律法そのものの現れ(御言葉)であるので、悪霊は恐れ、「神の聖者」だと叫んだのです。私共は、マルコが語る主イエスを正しく受け取る者でありたいと願います。