11月14日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集められる。」

「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」

(マルコによる福音書 13章24~32節)

「わたしの言葉は滅びない」

「終末主日」(収穫感謝日)が近づいてまいりました。キリスト教暦の締めくくりです。私共は待降節から始まるキリスト教暦の円環の中を主と共に歩んで参りました。主と共に「希望」の中を歩んできたのです。この希望は「終末」の希望です。私は日曜学校の子供たちに「終末」のことを語る時に、「先生は終末をワクワクして持ち望んでいます。」と言っていました。その理由は、その日、ベールなしにイエス様に会うことができる。愛する者たちと再会できる。救いの完成を見ることができるという理由からです。この希望は神の愛(十字架)に基が置かれています。私が神の愛を信じる基は神御自身にあるのです。この証は日常の中でも悟ることができる真です。私は生活困窮者の支援をしていますと以前に申し上げました。その関係の中にいる兄弟が、私共に言われたのです。「あなたがたは私の家族です。」この兄弟は家族の愛を失い、世を恨んでいました。世に復讐を願いつつ、悪癖の中を過ごしたのです。その彼が家族を見出したのです。人を信じる心を初めて得たのです。信じる心は愛を生み出します。人を愛する心を得、彼は自分を救うことができました。私共も又、神の信(ピスティス)を信じる信仰を通して救われます。しかし、それでも皆さんの中には、神を信じ、愛を信じることは難しいと思われる方がおられるかも知れません。それも又、真実です。本日の御言葉は終末の滅びのことも語っていますが、この話は「世の滅び」のことだけを語ってはいません。この「滅び」は私の中にもあることを語っています。私共は神に背を向け、愛に疑いを持ち、罪の中を歩む者でもあります。私共の前には、欺く者、戦争、災害、迫害、偽預言者、偽メシア、反キリストが現れます。私共は、神の愛の中を堅く立っていられるのでしょうか。(別紙参照「ダニエルの70週」)私共は立つことができます。その理由は、(イザヤ40:8)「草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」からです。主御自身も又、本日の御言葉にて、十字架を目前にして、(13:31)「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」と言われました。私共は信じます。主が私共の罪の為に死なれたこと。主は葬られたこと。主は三日目に復活されたこと。私共も又、主と共に死に、主と共に復活することを信じます。主は「その日」主によって選ばれた人々(私共)を一つの御国に呼び集めて下さいます。