11月28日(日)聖日礼拝

「聖 書」

「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。このようなことが起こり始めたら、身を起こして頭を上げなさい。あなたがたの解放の時が近いからだ。」  それから、イエスはたとえを話された。「いちじくの木や、ほかのすべての木を見なさい。葉が出始めると、それを見て、既に夏の近づいたことがおのずと分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、神の国が近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。すべてのことが起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。」 「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意しなさい。さもないと、その日が不意に罠のようにあなたがたを襲うことになる。その日は、地の表のあらゆる所に住む人々がすべてに襲いかかるからである。しかし、あなたがたは、起ころうとしているこれらのすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、いつも目を覚まして祈りなさい。」

(ルカによる福音書 21章25~36節)

「解放の時が近い」

待降節第一主日を迎えました。キリスト教歴の始まりです。アドベントクランツの蝋燭に1本火が灯りました。この蠟燭の光は「キリストの光」です。中心の白い蝋燭は未だ立っていません。クリスマスイブの日、クリスマス礼拝の時に中心の蝋燭は立てられます。「キリストキャンドル」です。私共は胸躍らせて主を待ち望みます。クリスマスは神からの「無償のギフト(愛)」である幼子イエスを与えられる日です。その日まで、私共は「心備え」をして御子を迎える準備をするのです。その準備期間の中で、クランツの蝋燭は、1本ずつ火が増えていきます。それぞれの蝋燭には意味が込められていて、1本目「希望」、2本目「平和」、3本目「喜び」、4本目「愛」という意味があります。この意味はキリスト教の精神を表しています。それと共に私共キリスト者が、主を待ち望む「心備え」の心を照らす光ともなっています。クランツの蝋燭の光は「希望」であると共に、私共の内側の闇を照らす「光」でもあるのです。本日の御言葉を御覧下さい。ルカ福音書の「小黙示録」と呼ばれる御言葉です。主は十字架の死の直前に「終末」のことを告別として弟子達に語られました。私共の命が死で終わるのではなく、主イエスの死を通して、人々の罪が贖われ、神の愛(福音)を信じる者には永遠の命が与えられることを告げられたのです。主は「人の子の到来」(ダニエル7:13)を語られました。この「人の子」を聞くユダヤ教徒は恐れをもって聞くのです。前触れの「天変地異」もですが、彼らが真に恐れていることは、「神の裁き」です。人の子(メシア)の到来の「その日」、新しいエルサレムは建設されますが、悪は滅ぼされる時なのです。ユダヤ教徒の考える「終末」とは「長く続いてきた悪の時代が終わる時」と認識し、「その日」メシアは到来されるのです。この預言は確実で成就します。私共も又、主イエスの福音の救いなしには、神の前に立つことはできません。「人の子」は「再臨のキリスト」です。本日の御言葉は、「終末における救いの完成を待ち望む私達の在り方が問われる」箇所であると言われてきました。私共は心備えができているでしょうか。「その日」が何時来ても良いように、救われたと安心し「放縦」することなく、救いの確信に不安を抱き「深酒」に走らず、いつも「目を覚まして祈る」生活を送りましょう。主は「パルーシア」の時は「解放の時」であると教えられました。私共は希望を持って待ち望みます。