12月13日(日)聖日礼拝

「聖 書」

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。“霊„の火を消してはいけません。預言を軽んじてはいけません。すべてを吟味して、良いものを大事にしなさい。あらゆる悪いものから遠ざかりなさい。どうか、平和の神御自身が、あなたがたを全く聖なる者としてくださいますように。また、あなたがたの“霊„も魂も体も何一つ欠けたところのないものとして守り、わたしたちの主イエス・キリストの来られるとき、非のうちどころのないものとしてくださいますように。あなたがたをお招きになった方は、真実で、必ずそのとおりにしてくださいます。

(テサロニケの信徒への手紙 一 5章16~24節)

説 教 「どんなことにも感謝」

待降節第三主日を迎えました。「喜びの主日」です。愈々、次週に「降誕日主日」を迎えるにあたり、私共は、どのような心備えをしておけば良いでしょうか。それは先週お語りした「福音を生きる」(洗礼者ヨハネ)幸いを憶えることです。使徒パウロは、本日の書簡を通して、「福音を生きる幸い」と、その「喜び」について教えています。テサロニケの人々は「再臨」について不安を持っていました。パウロは「わたしたちは昼に属していますから、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んでいましょう。」(5:8)と、再臨を待ち望む幸いを「昼の子」と表し、「あなたがた」は「昼の子」であると伝えました。あなたがたは「昼の子」であるから、「死者のこと」「再臨のこと」について不安を持つ必要はないと明言したのです。パウロは何故、明言できたのでしょうか。それは3章に記されています。「(テモテが、わたしたちのもとに来て)あなたがたの信仰と愛について、うれしい知らせを伝えてくれました。」(3:6)と記し、続けて、「(わたしたちは)あなたがたの信仰によって励まされました。」と語られています。パウロの語る意味は何でしょうか。パウロはテサロニケの人々の愛の業に励ましを受けているのでしょうか。それはそうではありません。パウロは、自分が教会を離れた間も神の働きと見守りが、「そこ」にあったことを喜び、励ましとしているのです。この「うれしい知らせ」の原語は「福音」となっています。パウロはテサロニケの教会が霊の命が宿る「福音に生きる」人々の教会であることを見て取りました。彼らには「聖霊の働き」があるのです。福音伝道者(エバンジェリスト)の喜びは、教会(信徒たち)が神から与えられる命を生きていることを見ることです。彼らは聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、すべての「信者の模範」となっていました。(1:6)ですからパウロは、あらゆる困難を乗り越えてきた彼らに「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。」と命じたのです。この意味は、「何時、如何なる、どんな時も」神の幸いがあったであろうと、信仰の幸いを思い起こさせ、「福音を生きる幸い」は、どんな時も取り去られることがないので、いつも神に感謝を捧げなさいと勧めたのです。自分を神とすることは「闇(夜)」です。福音に生きる者は「霊、魂、体」が一つとなり、救いにある自分を見出し、神の命の「光(昼)」を生きるのです。