12月15日(日)聖日礼拝

「聖 書」

 荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。野ばらの花を一面に咲かせよ。花を咲かせ、大いに喜んで、声をあげよ。砂漠はレバノンの栄光を与えられ、カルメルとシャロンの輝きに飾られる。人々は主の栄光と我らの神の輝きを見る。弱った手に力を込め、よろめく膝を強くせよ。心おののく人々に言え。「雄々しくあれ、恐れるな。見よ、あなたたちの神を。敵を打ち、悪に報いる神が来られる。神は来て、あなたたちを救われる。」そのとき、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開く。そのとき、歩けなかった人が鹿のように躍り上がる。口の利けなかった人が喜び歌う。

 (イザヤ書 35章1~10節)

説 教 「荒れ地よ、喜び踊れ」

待降節第三主日を迎えました。いよいよクリスマスを間近に控えた「喜びの主日」です。今年のクリスマスは先週お話しした中村先生が凶弾に倒れる事件を思う時、心騒がせる時となっています。しかし中村先生の遺志を思う時、私共は心静かに「神を思う時」を過ごすことが与えられていることに感謝を捧げましょう。「お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある。」(イザヤ30:15)「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。」(イザヤ32:17)本日は中村先生を追悼しつつ、御言葉の取次ぎを致します。イザヤ書は新約聖書に多く引用されています。主に「インマヌエル預言」の箇所です。本日の御言葉は「インマヌエル預言」ではありませんが、「喜びの主日」には相応しい御言葉です。それは「栄光の回復」が預言されている箇所だからです。「荒れ野よ、荒れ地よ、喜び踊れ。砂漠よ、喜び、花を咲かせよ。」と冒頭にあります。この御言葉は、中村先生がアフガニスタンの人々と共に用水路工事をし、荒れ地を緑豊かな土地に変えた事例に繋がっているものです。この事実は単に「大地が緑になる」ということではありません。この預言は「神の栄光の回復」が語られているものだからです。中村先生の偉業は「かの地」に「平和」を造り出したことです、「生命」の尊厳を回復したことです。本日の御言葉もまた同じです。「荒れ野」とは「道なき、無方向の状態」のことです。「荒れ地」とは「生命から遠い場所」のことです。アフガニスタンは多民族国家です。争いの絶えない貧しい国です。そこに100年に一度の「大旱魃」にも見舞われていました。中村先生がアフガニスタンを支援始めた頃の状況です。そのところにアメリカ同時多発テロが起こり、報復戦争であるアフガニスタン戦争が勃発しました。アフガニスタンは、「無方向の状態」となり、「生命から遠い場所」になりました。中村先生は、その場所に「用水路建設」を通して、「神の栄光の回復」を見出したのです。イザヤ預言が為された時も、同じ状況でした。時のイスラエル王国はアッシリアやエジプトの脅威に怯え、神に依り頼まず「無方向の状態」でした。そして遂にバビロニアに滅ぼされ、国を失う「生命から遠い場所」となったのです。それは全て、イスラエルの背信の罪故でした。神は、そのイスラエルを時が来れば「栄光の回復」を与えることを約束しました。私共は真実に悔い改めを為す時、栄光の回復も用意されています。