12月22日(日)降誕日礼拝

「聖 書」

人々は皆、登録するためにおのおのの自分の町へ旅立った。ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。 「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日、ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

(ルカによる福音書 2章1~14節)

説 教 「御心に適う人にあれ」

皆様、クリスマスおめでとうございます。今年は「ルカ書」を通して、主より、クリスマスの恵みを頂きましょう。主の「御降誕物語」はマタイ書、ルカ書に記されています。その大きな違いは、誰が、この「大きな喜び」を世の人に知らせる者になったかというところです。マタイ書では「東方の学者たち」が、最初の「証し人」となっています。ルカ書においては、「羊飼いたち」が人々に知らせたと書かれています。私は今、「証し人」と書きましたが、これは「顕現祭」(エピファニー)を意識して、そう申し上げました。聖書の記述としては、「人々に(大きな喜びを)知らせた」と書かれてあるのは「ルカ書」です。本日は、このところの意味を受け取りながら、クリスマスの恵みに与りたいと願います。「ルカ書」は医者ルカによって書かれ、続編として「使徒書」が記されました。その「使徒書」の最後には、「(ローマにてパウロは)全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて教え続けた。」と記されています。パウロも又「証し人」です。ルカは、本日の御言葉にあるように、「イエスの誕生」をローマの「住民登録」から書き起こしています。ルカ書の意図していることは明確でしょう。ルカは「キリストの誕生」は歴史的な事実であると主張しているのです。それと共に、キリスト到来の「大きな喜び」は全世界への「福音」であるということを告げているのです。医者ルカが記した二書が「ローマ」をはっきり意識していることから、それと解せます。それに比して、イエス誕生の場所は「ベツレヘム」です。ダビデの町であるといえ、当時は寒村でした。また「大きな喜び」を告げた羊飼いも、「地の民」と呼ばれていた小さな存在でした。この対比は何を意味しているのでしょうか。これは本日の最後の御言葉、「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」が、その答えでしょう。神の大きな愛の救いの「平和」が地にもたらされました。しかし、この「平和」は「御心に適う」人に「ある」のです。では「御心に適う人」とは誰の事でしょうか。それは、「羊飼い」のことです。羊飼いは、「キリスト誕生」を見、「見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って」とあります。(2:20)キリストの到来を見聞きした者のうち、「神をあがめ、賛美を捧げる者」こそが「御心に適う人」ということです。御心に適う者が小さくても神は「喜びを告げる者」とし、全世界に平和の種を広げ行かれるのです。