6月7日(日)三位一体聖日礼拝

 

「聖 書」

終わりに、兄弟たち、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいます。聖なる口づけによって互いに挨拶を交わしなさい。すべての聖なる者があなたがたによろしくとのことです。

主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。

(コリントの信徒への手紙 二 13章11~13節)

説 教 「愛と平和の神」

本日は「三位一体主日」です。本日の御言葉は、「三位一体主日」に読まれるのに相応しいものです。パウロ先生は教会に宛てた書簡の中で「平和の神」という言葉をよく用います。しかし本日の御言葉では「愛と平和の神」という言葉を使っています。この言い方は、このところに唯一のものです。パウロ先生の意図はあるのでしょうか。それは勿論あります。パウロ先生は分裂の危機の中にあった「愛の冷えた教会」コリントの教会を愛されて、「二コリント書」を奨励の書として送りました。パウロ先生の愛は、最後の「祝祷」(祝福)に表れています。「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」この祝福の祈りは、パウロ先生の「福音理解」の最たるものです。まさに、この祈りをもって教会に仕えることが、パウロ先生の使徒としての権威であり、誇りでありました。パウロ先生の書簡が書かれた頃には、「三位一体の神」という言葉はなかったでありましょう。しかし、その「概念」(実体)は確実に信徒の中に存在していました。その証拠をヨハネ書から汲み取っておきましょう。「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」(1:1-2)「父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(1:18)「神がお遣わしになった方は、神の言葉を話される。神が“霊”を限りなくお与えになるからである。」(3:34)「わたしが父の内におり、父がわたしの内におられると、わたしが言うのを信じなさい。」(14:10)「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。」(16:13-14)この「父、子、聖霊」が三つの位格(ペルソナ)にて存在され、その実体において「唯一の神」であることをヨハネ書は明確に証ししています。この実体は「唯一の神」が「三位一体の愛の交わりの神」であるということです。パウロ先生は、教会は「一つ」なのだということを伝えているのです。教会が分裂していては、その存在意味がないことを教えているのです。教会はキリスト者です。キリスト者が神の愛の交わりの内にいるならば、教会は本物になります。(ヨハネ17:21)「完全な者になりなさい。」これは本来の姿に帰れの意です。パウロ先生の言葉は愛です。